11月3日の大牟田・荒尾の近代化遺産一斉公開のレポート第2弾。
三川坑を出て旧三井港倶楽部前に行くと、マイクロバスが止まっていて、大牟田駅行きのシャトルバス(大牟田市のマイクロバス)だと言うので、これに乗って大牟田駅まで行くことに…
ここから全域ルートのシャトルバス(西鉄バスで運行)に乗り継いで、合成町の炭鉱電車の見学場所へ…

ここは代表的な機関車を4両保存してある場所のようで、案内してくれて方も将来的にはきちんとした展示施設を作りたいとおっしゃっていた。

ドイツのジーメンス社製の20トン電気機関車。なんと明治44年の製造で、国内の電気機関車では最古級の電車。
運転台に入れたので、各種機器もパチリ。(子供の頃、通勤電車を引いていたこの電車の運転席をどれだけ憧れの目で見ていたことか…)

こちらはジーメンス製の機関車をモデルに国内で製作されたもので、大正4年、三菱像先生の20トン電車。
言われなければ判らない程そっくり…どっかに銘板あったかなァ~ それにしても運転台の機器配置までそっくりそのままだった。

これは三池港で貨車の入れ替えなどに使用されていた15トン電車。明治41年、米GE社製で、ジーメンス製のものより古い機関車。この機関車にはドアが無く、運転席への出入りは窓から行っていたとか…
その形状から「ガメ電」と呼ばれ親しまれていた。

東芝製の45トン電車。昭和11年製造。
運転台のコントローラもノッチハンドルがいかにも機関車らしい。
私が子供の頃はこの45トン電車が石炭を積んだホッパー車を引き、20トン電車が通勤電車として客車を引いていたイメージがある。

45トン電車の運転台。真ん中の写真は前方の機関車からさらに先に伸びる線路が宮原坑を経て万田坑~三池港とつながっていた。(現在線路は撤去されている。)
3枚目の写真はそれとは反対方向で、三井化学専用鉄道として現在も運転されている線路。
先の信号の右に機関車が見える。
炭鉱電車をあとにまたシャトルバスに乗り、宮原坑へ…

宮原坑では生憎の雨になったが、カミさんの傘に入れてもらい見学することに…
宮原坑の中に入るのは初めてだが、ここの竪坑ケージにはワイヤーロープが張ったままだというのにも初めて気が付いた。

巻揚げ機とワイヤーロープで吊られたケージ。万田坑のより一回り小さい。

1棟だけ残された社宅跡。
これは木造の長屋ではなく、鉄筋の2階建て。この1棟で2軒分だと思う。片方に入ってみると昔懐かしい流し台があった。(私が結婚して小浜社宅に入居した時もこの流し台だったので、カミさんが懐かしがっていた。)

風呂場と部屋。浴槽はコンクリート製。小浜社宅もそうで、当初は石炭焚きだった。(後年、ポリ浴槽にガス釜に変わったが…)
部屋は1階に4畳半1間と台所に風呂とトイレ、2階に6畳と4畳半の2間という間取りで、だいたいどこの社宅もこんな感じの間取りだったと思う。(平屋と2階建ての違いはあるが…)
宮原坑の見学も終え、シャトルバスで万田坑へ戻ってきたのは15時過ぎ、雨はどうにかあがっていた。
昨年、シャトルバスの時間で見られなかった炭鉱電車や宮原坑も見ることが出来、雨に降られはしたが、いい1日だった。