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第一紡績~第一製網前の桜並木が綺麗に咲いているので、ウチの会社の正門前からちょっとパチリ…
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ちょっと事務所の屋根に上る仕事があったんで、屋根の上から… いやー、満開だなぁ~
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荒尾では有名な桜の名所です。
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2014.03.28 Fri l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top
先日西日本新聞の1面に工場夜景のカラー写真が掲載されていて、それが荒尾の(株)三光 大島工場だと書いてあったので、見に行ってみた。

最初は三光って有明高校近くにあるのしか知らなくて(わりとうちの近所)大島の工場ってどこにあるんだろうって探したけど、おそらくあの辺じゃ~って思ってたところで見つかった。

やっぱり工場夜景ってなるとどうしても手持ちではブレて写せないので、後日、三脚にリモコンレリーズを用意して撮影に挑戦。
これがそのときの写真…
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10秒前後露光するので、三脚で固定しててもシャッターを押すときブレたりするのを防ぐためリモコンレリーズを使った。セルフタイマーを使うって手もあったけど、もらったリモコンがあったんで…

ま、新聞に載ってた写真とあまり変わらない写真が撮れたかな?
2013.12.21 Sat l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top
11月3日の大牟田・荒尾の近代化遺産一斉公開のレポート第2弾。

三川坑を出て旧三井港倶楽部前に行くと、マイクロバスが止まっていて、大牟田駅行きのシャトルバス(大牟田市のマイクロバス)だと言うので、これに乗って大牟田駅まで行くことに…
ここから全域ルートのシャトルバス(西鉄バスで運行)に乗り継いで、合成町の炭鉱電車の見学場所へ…

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ここは代表的な機関車を4両保存してある場所のようで、案内してくれて方も将来的にはきちんとした展示施設を作りたいとおっしゃっていた。

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ドイツのジーメンス社製の20トン電気機関車。なんと明治44年の製造で、国内の電気機関車では最古級の電車。
運転台に入れたので、各種機器もパチリ。(子供の頃、通勤電車を引いていたこの電車の運転席をどれだけ憧れの目で見ていたことか…)

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こちらはジーメンス製の機関車をモデルに国内で製作されたもので、大正4年、三菱像先生の20トン電車。
言われなければ判らない程そっくり…どっかに銘板あったかなァ~ それにしても運転台の機器配置までそっくりそのままだった。

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これは三池港で貨車の入れ替えなどに使用されていた15トン電車。明治41年、米GE社製で、ジーメンス製のものより古い機関車。この機関車にはドアが無く、運転席への出入りは窓から行っていたとか…
その形状から「ガメ電」と呼ばれ親しまれていた。

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東芝製の45トン電車。昭和11年製造。
運転台のコントローラもノッチハンドルがいかにも機関車らしい。
私が子供の頃はこの45トン電車が石炭を積んだホッパー車を引き、20トン電車が通勤電車として客車を引いていたイメージがある。

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45トン電車の運転台。真ん中の写真は前方の機関車からさらに先に伸びる線路が宮原坑を経て万田坑~三池港とつながっていた。(現在線路は撤去されている。)
3枚目の写真はそれとは反対方向で、三井化学専用鉄道として現在も運転されている線路。
先の信号の右に機関車が見える。

炭鉱電車をあとにまたシャトルバスに乗り、宮原坑へ…

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宮原坑では生憎の雨になったが、カミさんの傘に入れてもらい見学することに…
宮原坑の中に入るのは初めてだが、ここの竪坑ケージにはワイヤーロープが張ったままだというのにも初めて気が付いた。

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巻揚げ機とワイヤーロープで吊られたケージ。万田坑のより一回り小さい。

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1棟だけ残された社宅跡。
これは木造の長屋ではなく、鉄筋の2階建て。この1棟で2軒分だと思う。片方に入ってみると昔懐かしい流し台があった。(私が結婚して小浜社宅に入居した時もこの流し台だったので、カミさんが懐かしがっていた。)

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風呂場と部屋。浴槽はコンクリート製。小浜社宅もそうで、当初は石炭焚きだった。(後年、ポリ浴槽にガス釜に変わったが…)
部屋は1階に4畳半1間と台所に風呂とトイレ、2階に6畳と4畳半の2間という間取りで、だいたいどこの社宅もこんな感じの間取りだったと思う。(平屋と2階建ての違いはあるが…)

宮原坑の見学も終え、シャトルバスで万田坑へ戻ってきたのは15時過ぎ、雨はどうにかあがっていた。

昨年、シャトルバスの時間で見られなかった炭鉱電車や宮原坑も見ることが出来、雨に降られはしたが、いい1日だった。
2013.11.10 Sun l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top
11月3日、昨年に続いて2度目の「大牟田・荒尾の近代化遺産一斉公開」が行われた。

今年も点在する近代化遺産を回るシャトルバスが無料で走るので、カミさんと出掛けてみた。

9時半ごろに家を出て、15時半ごろ帰宅、ほぼ1日掛けて万田坑、三池港、三川坑、炭鉱電車、宮原坑と回り、かなりの写真を撮ったので、その模様を2回程度に分けて紹介したいと思う。

まずは去年と同じく万田坑の駐車場に車を置いてバスが来るまで万田坑構内を散策…
万田坑の写真はいままでもいろいろ載せてきているので、今回は1枚だけ…
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万田坑ステーション前から10時06分発のシャトルバスで三池港へ…

この日は長崎から観光丸が来ていて10時から11時まで無料体験乗船できるというので、まっすぐ観光丸が停泊する新5番バースへ向かった。
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観光丸は幕末にオランダから幕府に献上された蒸気帆船で、元の船名はスンビン号という。
わが国初の蒸気船で、胴体横に大きな水車を持つ「外輪船」。このあとの咸臨丸はスクリュー船だった。
この復元観光丸は1987年にオランダで建造され、ハウステンボスで活躍していたが、最近では長崎港遊覧クルーズ船として就航しているとのことだった。

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艦尾にあった羅針盤?と舵輪。

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外輪船の特徴である大きな水車は岸壁に隠れ、はっきり見ることは出来なかった。
この復元観光丸はスクリュー船で、外輪は飾り(でも動く?)だとか…

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何かの告知で三池港では閘門も一般公開されるように書いてあったと思ったので、行って見たが私の勘違いか、公開はされていなかった。

再びシャトルバスに乗り、三川坑へ…
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昨年に続き2度目の三川坑構内。
ほんの数ヶ月だったが、ロッカー(脱衣場)や浴場を利用した建物はもう無く、すぐ先の有明海沿岸道路には多くの車が走っていた。

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入坑口(検身)と第2斜坑上屋。
今回は昨年と違い斜坑の中のほうまで入れた。

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人車ホーム前に掲示してあった「搭乗者注意事項」と閉塞された坑口。
3枚目は人道で、上の入坑口(検身)から中に進むとここに出てきて人車のホームに出るようになっていた。

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第2斜坑の上の方にあった人車点検場。
2枚目は第2斜坑と第1斜坑の間にあった山の神。

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今回初めて入った第1斜坑の巻揚機室。
450kwの巻揚機のワイヤーに塗られたコンパウンドグリースもいまだ干からびておらず、最高速度を書いた表示板など臨場感があふれた施設だった。

3枚目は巻揚機室から見たかつての第1斜坑のあった付近。完全に埋め戻されて当時を偲ぶ物は何も無い。
この第1斜坑で昭和38年、いまでも国内最大の労働災害である三川鉱炭塵爆発が起こった。

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鉱員用の脱衣場や浴場はすでに解体されているが、係員(職員)用の脱衣場、浴場はかろうじて残っていた。
1枚目が脱衣場。2枚目は係員詰所か?

この三川坑跡地の一部が日本コークス(元の三井鉱山)から大牟田市に無償譲度されたようで、今後の保存、活用に期待が掛かる。

今回はここまで…

次回は去年行きそびれた炭鉱電車と宮原坑の写真を紹介します。
2013.11.04 Mon l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top
7月最後の日曜日、今度はカミさんを連れてもう一度鹿央の古代ハス園を見に行った。

今回は先週に比べて多くの花が咲いており、たくさんの見物客で賑わっていた。

それでは恒例のへぼ写真を…
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明け方に降った雨がハスの葉に水滴を残しているな~と思ったら、アマガエルまでいました!
アマガエル見たの、久しぶりだな~
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2013.07.29 Mon l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top
会社の梅の木が綺麗に花を咲かせていたので休み時間にパチリ。
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まだまだ寒い日が続いているけど、春はもうそこまで来ている…
2013.02.23 Sat l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top
3日の文化の日、大牟田荒尾の近代化遺産の一斉公開が行われた。
各会場を無料のシャトルバスが回っているということだったので、当日学校に行っていた長女を除いた3人で行ってみた。
まずは万田坑の駐車場に車を置き、無料公開されていた万田坑構内に入った。
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以前構内に入ったときは壊れかかっていた「職場」が復元されていたので、ここを重点的に見て回った。
四山鉱では坑外修繕場と呼んでいたが、旋盤や、クレーンなど小規模ではあるが工具類なども展示されていた。

次は万田坑ステーション前からシャトルバスに乗って三池港に行った。
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一斉公開にあわせて三池港では「三池港浪漫フェスタ」が開催されており、ステージではいろんな催し物が行われ、沢山の露店も出ていた。私たちもこの露店の中で弁当を買って岸壁で潮風を背に昼食をとった。
左下の写真に写っている西鉄バスが大牟田市が用意した無料シャトルバス。4台をおおよそ20分間隔で運行していた。

次はいよいよこの日の目玉、三川坑の一般公開を見に行った。
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正門から中に入ると、右手の守衛小屋から三池各鉱の出炭量などが掲示されていた掲示板へと続く。
ここで大牟田市の職員の方が、三川坑の資料を配っていた。

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第一斜坑が埋め戻されているためか、事務所の前に斜坑の方に向かって献花台が置かれていた。
真ん中の写真は上段が事務所、採鉱調査などの建物、下段が昭和天皇行幸の際に造られた日本庭園と繰込場(鉱員が作業の指示を受けるところ)などがあった建物と思われる。
右は第二斜坑の巻揚機室付近とそこに放置された斜坑人車、荒れ放題の山の神。
第一斜坑と第二斜坑に挟まれて山の神があったが、第一斜坑は完全に埋め戻されて更地となっており、炭塵爆発の現場を偲ぶ事は出来なかった。

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かろうじて今も残る第二斜坑。第一斜坑が石炭運搬用のベルトコンベアが走り、材料の運搬を行っていたのに対し、この第二斜坑は作業員を人車で坑内に送るための坑道だった。
私も港沖四山鉱の竪坑巻揚機の検査時や四山閉坑後、有明に移るまではここから坑内に下がったが、坑口閉塞はともかく、斜坑上屋などの荒れ具合は当時の記憶から遠く離れたものだった。

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三池港に入る外国船の船員のために造られたという「港クラブ」。私が炭鉱マンだった頃は「三井の迎賓館」と思っていた。炭鉱閉山後、一時解体の危機もあったが、今は「旧三井港クラブ」の名で一般に開放され、結婚式場としても使われている。
真ん中の写真は三川鉱行幸時の昭和天皇がお座りになった応接セット。右の写真の壁にかけられた額は伊藤博文書。

この後もシャトルバスに乗って炭鉱電車を見に行きたかったが、シャトルバスの時間上、見に行く時間が無く、泣く泣く炭鉱電車は諦め、万田坑に戻った。

こういう企画は今年が初めてだったが、来年以降も続けていけば、三川坑の存在意義ももっと広くに知られるだろう。とにかく、三川坑を保存するのなら、もう待ったなしのところまで来ている、そう感じた一日だった。
2012.11.06 Tue l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top