昨日、以前から行ってみたいと思っていた門司港駅の隣りにある「九州鉄道記念館」に行ってきた。

左:記念館正面ゲート。本館は旧九州鉄道本社屋を使ってある。
中:旧0キロポスト跡の記念碑。関門トンネルが開通する前はここが門司駅で、九州の鉄道の始点だった。
関門トンネルの開通によって、隣の大里駅が新しい門司駅となり、ここは門司港駅となった。(だったと思う)
右:車両展示場。一番手前はキューロクとC59のSLたち。ここはホームが高くないので、運転席を覗き込むことはできなかったが、迫力の動輪が間近で見られる。

左:EF10型電気機関車。関門トンネルの開通により、トンネル専用の機関車として配置された車両。
中:ED72型電気機関車。北九州地区の交流電化に伴い、九州初の交流電気機関車として登場した。
右:キハ07型ディーゼルカー。戦前の代表的な半円形スタイル。戦前に製造された同型車で原形を保っているのはこれだけという。

左:キハ07からは車内の見学ができる。いかにも昭和初期といった室内。
中:キハ07の運転席。
右:481系特急電車。こだま型と呼ばれたボンネットタイプ。私の若いころはL特急「有明」や「にちりん」として活躍していた。

左:581系寝台特急電車。寝台車といえばブルートレインを思い浮かべる人がほとんどだろうが、こういった電車寝台もあった。(私は乗ったことがなく、一度乗ってみたかった。)
中:581系の座席を寝台状態にしたところ。これは下段で、この上に中段、上段ができるようになっていた。
右:この吊り棚奥のふくらみが回転しながら降りてきて中段と上段のベッドを作る。なお、ブルートレインは片側通路で進行方向に横向きベッドだが、581系は中央通路で進行方向に向いたベッドになる。

左:本館に入ってすぐにある、明治時代の客車。座席は畳敷きだった。
中:九州の車両が勢揃いした鉄道模型のパノラマ。何種類かの車両は運転できるようになっているようだったが、この日はなぜか動かなかった。
右:運転シュミレーター。100円で運転手気分が味わえる。子供たちに大人気だった。

ほかにもこんなヘッドマークや、行き先標などたくさんの展示物があった。
鉄道記念館を後にして、田川の石炭歴史博物館に向かった。

ここは先日ユネスコの世界記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭鉱画が展示されている施設とあって、沢山の見学者で賑わっていた。
左:三井田川鉱業所伊田竪坑櫓。この博物館は田川鉱業所伊田坑の跡地に建てられている。
中:炭坑節に「あんまり煙突が高いので~」と歌われた2本煙突。三池では宮浦坑のものを言うけどどうやらこっちが本家みたいだ…。
右:復元された炭住。今回は炭鉱画のほかにこれが目当てだった。

左:炭住街から竪坑を望む。
中:復元された鉱員社宅の炊事場。昭和20~30年代のものだと思う。まだ水道は共同で、流しの右側に水をためておく水瓶がある。私の子供のころのはもう各戸に水道が引かれていたが、まだ水瓶や竈は残っていて、断水時などはあらかじめ水瓶に水を溜めていたように記憶している。
右:茶の間の様子。この家の表札には「伊吹重蔵」と書かれていた。この人が信介の親父さんか…?

左:自走枠。初期の頃のものか、私が知っているのより随分小さい。
中、右:ちょい見、バッテリーロコかと思ったが、運転機器がぜんぜん違うし、前方にはラジエーター風のものが…。
銘板をよく見てみると、なんと、ディーゼルカーだという。坑内で気動車を使っていたのか? 排気は? 防爆対策は?

左:手掘り時代の採炭風景。後山に女性が付いている時代だった。(夫婦者が多かったと聞いた覚えが…)
右:展示場では撮影禁止のため、ネットで拾ってきた山本作兵衛の炭鉱画。なんともリアルな絵に添えられた説明文がまた秀逸で、でも全部読むには時間がなさ過ぎて…
鉄道記念館も石炭歴史博物館も是非行ってみたいと思っていた施設だっただけに、見ごたえがあって、大変満足したNontaでした。
願わくば大牟田市も石炭館の屋外展示場(ネイブルランド跡地も含めて)に、在りし日の炭住街を復元してもらえたら…と思うのは私だけでしょうか…。



左:記念館正面ゲート。本館は旧九州鉄道本社屋を使ってある。
中:旧0キロポスト跡の記念碑。関門トンネルが開通する前はここが門司駅で、九州の鉄道の始点だった。
関門トンネルの開通によって、隣の大里駅が新しい門司駅となり、ここは門司港駅となった。(だったと思う)
右:車両展示場。一番手前はキューロクとC59のSLたち。ここはホームが高くないので、運転席を覗き込むことはできなかったが、迫力の動輪が間近で見られる。



左:EF10型電気機関車。関門トンネルの開通により、トンネル専用の機関車として配置された車両。
中:ED72型電気機関車。北九州地区の交流電化に伴い、九州初の交流電気機関車として登場した。
右:キハ07型ディーゼルカー。戦前の代表的な半円形スタイル。戦前に製造された同型車で原形を保っているのはこれだけという。



左:キハ07からは車内の見学ができる。いかにも昭和初期といった室内。
中:キハ07の運転席。
右:481系特急電車。こだま型と呼ばれたボンネットタイプ。私の若いころはL特急「有明」や「にちりん」として活躍していた。



左:581系寝台特急電車。寝台車といえばブルートレインを思い浮かべる人がほとんどだろうが、こういった電車寝台もあった。(私は乗ったことがなく、一度乗ってみたかった。)
中:581系の座席を寝台状態にしたところ。これは下段で、この上に中段、上段ができるようになっていた。
右:この吊り棚奥のふくらみが回転しながら降りてきて中段と上段のベッドを作る。なお、ブルートレインは片側通路で進行方向に横向きベッドだが、581系は中央通路で進行方向に向いたベッドになる。



左:本館に入ってすぐにある、明治時代の客車。座席は畳敷きだった。
中:九州の車両が勢揃いした鉄道模型のパノラマ。何種類かの車両は運転できるようになっているようだったが、この日はなぜか動かなかった。
右:運転シュミレーター。100円で運転手気分が味わえる。子供たちに大人気だった。


ほかにもこんなヘッドマークや、行き先標などたくさんの展示物があった。
鉄道記念館を後にして、田川の石炭歴史博物館に向かった。



ここは先日ユネスコの世界記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭鉱画が展示されている施設とあって、沢山の見学者で賑わっていた。
左:三井田川鉱業所伊田竪坑櫓。この博物館は田川鉱業所伊田坑の跡地に建てられている。
中:炭坑節に「あんまり煙突が高いので~」と歌われた2本煙突。三池では宮浦坑のものを言うけどどうやらこっちが本家みたいだ…。
右:復元された炭住。今回は炭鉱画のほかにこれが目当てだった。



左:炭住街から竪坑を望む。
中:復元された鉱員社宅の炊事場。昭和20~30年代のものだと思う。まだ水道は共同で、流しの右側に水をためておく水瓶がある。私の子供のころのはもう各戸に水道が引かれていたが、まだ水瓶や竈は残っていて、断水時などはあらかじめ水瓶に水を溜めていたように記憶している。
右:茶の間の様子。この家の表札には「伊吹重蔵」と書かれていた。この人が信介の親父さんか…?



左:自走枠。初期の頃のものか、私が知っているのより随分小さい。
中、右:ちょい見、バッテリーロコかと思ったが、運転機器がぜんぜん違うし、前方にはラジエーター風のものが…。
銘板をよく見てみると、なんと、ディーゼルカーだという。坑内で気動車を使っていたのか? 排気は? 防爆対策は?


左:手掘り時代の採炭風景。後山に女性が付いている時代だった。(夫婦者が多かったと聞いた覚えが…)
右:展示場では撮影禁止のため、ネットで拾ってきた山本作兵衛の炭鉱画。なんともリアルな絵に添えられた説明文がまた秀逸で、でも全部読むには時間がなさ過ぎて…
鉄道記念館も石炭歴史博物館も是非行ってみたいと思っていた施設だっただけに、見ごたえがあって、大変満足したNontaでした。
願わくば大牟田市も石炭館の屋外展示場(ネイブルランド跡地も含めて)に、在りし日の炭住街を復元してもらえたら…と思うのは私だけでしょうか…。
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