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3日の文化の日、大牟田荒尾の近代化遺産の一斉公開が行われた。
各会場を無料のシャトルバスが回っているということだったので、当日学校に行っていた長女を除いた3人で行ってみた。
まずは万田坑の駐車場に車を置き、無料公開されていた万田坑構内に入った。
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以前構内に入ったときは壊れかかっていた「職場」が復元されていたので、ここを重点的に見て回った。
四山鉱では坑外修繕場と呼んでいたが、旋盤や、クレーンなど小規模ではあるが工具類なども展示されていた。

次は万田坑ステーション前からシャトルバスに乗って三池港に行った。
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一斉公開にあわせて三池港では「三池港浪漫フェスタ」が開催されており、ステージではいろんな催し物が行われ、沢山の露店も出ていた。私たちもこの露店の中で弁当を買って岸壁で潮風を背に昼食をとった。
左下の写真に写っている西鉄バスが大牟田市が用意した無料シャトルバス。4台をおおよそ20分間隔で運行していた。

次はいよいよこの日の目玉、三川坑の一般公開を見に行った。
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正門から中に入ると、右手の守衛小屋から三池各鉱の出炭量などが掲示されていた掲示板へと続く。
ここで大牟田市の職員の方が、三川坑の資料を配っていた。

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第一斜坑が埋め戻されているためか、事務所の前に斜坑の方に向かって献花台が置かれていた。
真ん中の写真は上段が事務所、採鉱調査などの建物、下段が昭和天皇行幸の際に造られた日本庭園と繰込場(鉱員が作業の指示を受けるところ)などがあった建物と思われる。
右は第二斜坑の巻揚機室付近とそこに放置された斜坑人車、荒れ放題の山の神。
第一斜坑と第二斜坑に挟まれて山の神があったが、第一斜坑は完全に埋め戻されて更地となっており、炭塵爆発の現場を偲ぶ事は出来なかった。

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かろうじて今も残る第二斜坑。第一斜坑が石炭運搬用のベルトコンベアが走り、材料の運搬を行っていたのに対し、この第二斜坑は作業員を人車で坑内に送るための坑道だった。
私も港沖四山鉱の竪坑巻揚機の検査時や四山閉坑後、有明に移るまではここから坑内に下がったが、坑口閉塞はともかく、斜坑上屋などの荒れ具合は当時の記憶から遠く離れたものだった。

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三池港に入る外国船の船員のために造られたという「港クラブ」。私が炭鉱マンだった頃は「三井の迎賓館」と思っていた。炭鉱閉山後、一時解体の危機もあったが、今は「旧三井港クラブ」の名で一般に開放され、結婚式場としても使われている。
真ん中の写真は三川鉱行幸時の昭和天皇がお座りになった応接セット。右の写真の壁にかけられた額は伊藤博文書。

この後もシャトルバスに乗って炭鉱電車を見に行きたかったが、シャトルバスの時間上、見に行く時間が無く、泣く泣く炭鉱電車は諦め、万田坑に戻った。

こういう企画は今年が初めてだったが、来年以降も続けていけば、三川坑の存在意義ももっと広くに知られるだろう。とにかく、三川坑を保存するのなら、もう待ったなしのところまで来ている、そう感じた一日だった。
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2012.11.06 Tue l 近隣散策 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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